震災支援活動の報告

震災支援活動の報告 2011/05/21

 

こんにちは、深セン和僑会事務局です

 

3月および4月のイベント議事録でも触れていますが

深セン和僑会では各地区の和僑会と協力して東北関東大震災の

被災者を支援する活動を微力ですが行っています。

3月イベント議事録

http://www.szwakyokai.net/M_New_Info_Id02.asp?40.jsp

4月イベント議事録

http://www.szwakyokai.net/M_New_Info_Id02.asp?42.jsp

 

深センで集められた寄付金と香港和僑会、上海和僑会と協力して

製作したシリコンバンドが被災地を支援する活動に届きました。

 

以下、ご報告させて頂きます

 

 

1.陸前高田市立気仙小学校へ

 

気仙小学校は海岸からすぐ近くにある小学校で津波により全てが流されてしまいました。

4月の香港和僑会の定例会でお話頂いた陸前高田市出身のYさんもご自宅が流されるなど

被災された方ですが、ご家族また地元の仲間を元気づけるため一時帰国されました。

その際にシリコンバンドを地元の子供たちに配って頂きました。

 

ニュースなどで取り上げられている奇跡の一本松の写真と一緒に

Yさんよりメールを頂きましたので、掲載させて頂きます。

 

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和僑会の皆様

 

陸前高田市立気仙小学校のみんなにと言う事で、シリコンバンド「GANBARE NIPPON」を小学校代表の子供たちに皆に私

 

てくださいと言い、渡してきました。(日中は子供たちもどこかへ遊びに行っているみたいで、少なかったです)

香港という外国で日本人、香港人、中国人、色んな人たちが皆を応援してるんだよと言って渡してきました。

東北の素朴な子供たちですので、恥ずかしいのか、なかなか寄り付いてくれなかったのですが、最後に帰ろうとしたら、

 

皆で教室に行き、風船で作ったプードルとかを渡してくれました。そこでやっと記念写真が撮れました。1年生の男の子

 

もシリコンバンドをして、鉄棒をやってくれました。

子供たちは明るいです。

 

夜は、街が全くなくなったので、明かりが無く真っ暗でした。

私たち大人は、真っ暗闇の町ばかりを見ていましたが、子供たちは空を見上げて、星がいっぱいできれいと言っていまし

 

た。

私も見上げましたが、目が曇っているのか、心が曇っているのか、よく見えませんでした。

子供の目は未来を見ているのかなと思ったしだいです。私も明るい未来を見なければと思いました。

 

奇跡の一本松への道は閉鎖されていて近くへはいけませんでした。

遠くからですが写真を取りましたので添付します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2.岩手県野田村さくらまつりへ

 

北京和僑会の理事を務めている安田玲美さんが故郷である野田村で、仲間とともに

さくらまつりを開催されました。

 

野田村は村の約半分が壊滅するという被害を受けましたが現在は復興に向け、

村人皆が頑張っているという事で、その力になりたいという安田さんの思いが多くの人を動かし、

さくらまつりの開催へと繋がりました。

 

深セン和僑会の松岡さん、上海和僑会の秋山さんによる迅速な対応で、無事リストバンドを

さくらまつりに届けることが出来ました。

 

安田さんから当日の写真とメッセージが届いていますので、ご紹介します。

 

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皆さま:

 

安田です。

 

一昨日イベントを終え、昨日、最後のあいさつ回りを終え、16時過ぎに野田村を出発、

今朝早く千葉に帰着しました。

 

この度、皆さまには、野田村さくらまつりの開催にあたり、あらゆる多くのご支援を

いただきまして、心から感謝申し上げます。

 

これだけ多くの皆さまからのご支援がなければ、2週間前に開催を決定したイベントの

実現や成功はありえませんでした。

 

本当に、本当にありがとうございました。

 

皆さまからお預かりしましたご支援や想いは、確かに野田村の皆さんに届いていました。

 

開始時間の10時を待たず、9時半を過ぎるとぞくぞくとリストバンドを付けた子供たちが

集まり始め、最後は終了の放送をかけてもなかなか帰らないという大盛況でした。

どうやら子供達は、最初から最後まで、ずっと帰らずに楽しんでくれたようです。全員が

腕に同じリストバンドをしています。

テレビやインターネットなど、対象範囲が広く、インフラが完全でないと使用できない

メディアは、このような災害時にはその力を発揮できないようです。

災害時にもっとも力を発揮するのは、やっぱり口コミ。「さくらまつりが開催される!」と

いうニュースは、リストバンドを付けた600人の子供たちによって、村中を駆け巡ったようで、

何と、村の子供の8割の参加があったそうです。

「リストバンド持ってないけど、ないと行けないの?」などという問い合わせもあったとか。

 

子供達のはじけるような笑顔に、大人のみなさんもみんなが本当に嬉しそうでした。

 

また、私の同級生をはじめ、被災地を持つ地域に暮らすみんなが、“何かやらなきゃ。

でも何もできない。”という苦しい想いを抱えていたようです。

みんなで協力してさくらまつりをやり遂げて、“やっとやれた!”と、苦しい気持から少し

開放されたようでした。

 

直接被災した方々だけでなく、被災地に暮らすみんなに、立ち上がる、新たな一歩を踏み

出すきっかけが必要だったのだと実感しました。

 

このことは、さくらまつりを開催する最大の目的でした。この厳しい試練から立ち上がる

ための、一歩前に踏み出すためのきっかけになれば、と。

 

しかし、本番はこれからです。その最初の一歩をどこに向かって踏み出すのか、2歩目、

3歩目と、確実な歩みを進めていくためには、まだまだ挑戦の連続だろうと思います。

 

今後とも、何卒野田村を見守って下さいますよう、お願い申し上げます。

 

ご協力をいただきました皆さまには、あらためて、お礼と詳細のご報告をさせていただき

ます。取り急ぎのお礼とご報告にて失礼いたしますが、ご容赦下さい。

 

本当に、ありがとうございました。

やすだなるみ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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3.3.11 pray for japanチャリティコンサートへ

 

被災地へ温かい食べ物を届けようという目的で、5月8日東京でチャリティコンサート

が開催されました。そちらにシリコンバンドを提供させて頂きました。

イベント詳細

http://311prayforjapan.net

 

東京和僑会の三浦さんよりチャリティコンサートイベントの様子、

またイベント後の被災者支援活動の報告がありましたので、以下リンク先よりご覧ください。

 

チャリティーコンサート報告

szwakyo/userfiles/file/3_11playforjapan/311prayforjapan%20report.pdf

 

コンサート後の被災者支援活動報告

szwakyo/userfiles/file/3_11playforjapan/report%20from%20tokyo%20wakyo%20kai.pdf

 

 

 

最後に、東京和僑会から立ち上げられた震災チーム、リーダーの山田太郎さんから

和僑に向けたメッセージを頂きましたので掲載させて頂きます。

 

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和僑会、災害復興支援プロジェクト関係者の皆様

 

東京和僑会を代表して、昨日、無事、香港からの支援物資の第一弾(40fの半分)

を東京(八潮)経由で仙台の集配センター(届け隊の拠点)へ2台のトラックに

よって届けて参りました。そして、その一部を現地、被災者の方々(宮城県名取

市)へも直接届けてまいりました。多くの「ありがとうございます」の言葉を現

地からいただきましたので、和僑会に物資を託して頂いた皆様、和僑会関係者の

の皆様に、その言葉とお届けいたします。本当にありがとうございます。

 

物資は、まだ、一部(残り40fの半分)が今日、東京から仙台に向けてさらに2台

のトラックで配送されます。

 

現地は、支援の配送センター(届け隊の仙台のセンター)に大量の物資が次々に

届きます。実は現地で本当に足りないのは、それらを仕分けるボランティアの人

たちです。我々(山田、諸多、寺田、倉富)4名も仕分けの手伝いをしてきまし

た。

 

避難場所である場所(名取市の小学校体育館)も行きました。避難場所の物資の

ヤードは狭くて、食べ物など入りきらず、一部は雨ざらしでカビてしまう状況に

もあります。さらに、本当に食べ物や物資が足りない所は、被災しながらも自宅

にとどまっている方々です。彼らは、規定により物資が届く避難場所に入ること

ができずに、この1ヶ月間、飢えを凌いでいたケースも多発しています。また、

役所の悪しき平等主義から、例えば、被災者が100名避難している場所では、100

個以上届かず仮に80個だと、受け取らないか、その場で配らずに処分する場所も

あるようです。現場では、信じられないことが語りきれない程、沢山の事が起こっ

ています。今は、必要なものをいち早く、確実に被災者の人に届ける物流ネット

ワークの確保が必要です。

 

仕分けを手伝っていると分かるのですが、あれだけ「古着は入れないでください」

というアナウンスがTVなどを通じて徹底していても、様々な所からの物資には大

量の古着が送られてきます。仕分けや避難所の倉庫前には、大量の古着が処分す

るために捨て場もなく放置されている有様です。古着の中には異臭すら放ってい

るものがあります。仕分けをしていても、決して被災者に届かない作業をしてい

るのもむなしさを感じます。たとえ善意だとしても、その途中のボランティアの

人たちや現地の被災者には多大な負担を掛けているのです。

 

子供たちからの可愛い荷物も沢山届きました。手紙が入っていたり、本当に気持

ちのこもった物資が続々と届いています。それらに私も触れることができたこと

は本当に現地に行って手伝いをしていてよかったと感じる瞬間です。しかし、厳

しい現実も言えば、一つのダンボールに混載して届けられると仕分けの際、これ

も多くの負担が掛かります。支援品は、同じダンボールには同じものを入れて、

箱の三方向にしっかり内容物を書いてもらえるとスムーズに仕分けがはかどりま

す。途中で一度、箱を開けて数がそろわないと中途半場品として被災者に届ける

のは非常に困難な状況になります。今回、香港の方々には本当にきちっと仕分け

をして頂き助かりました。現地での負担が本当に減りました。

 

皆さん、可能であれば是非、現地に入ってください。「邪魔になるのでいけない

のではないか?」と我々も最初躊躇しておりましたが、現地は本当に人が足りま

せん。特にGW以降、ボランティアの数も減っています。

 

 

被災地にも直接行ってきました。場所は、仙台から南東の名取市です。仙台空港

が津波で被災しましたが、その周辺です。津波の被害は、南三陸町や気仙沼、石

巻などが多く取上げられますが、名取市も多くの死者行方不明者を出した所です。

 

地震から2ヶ月たった今、津波被害があった場所までは、復興は進み地震の痕跡

もなくなっていますが、津波が来た場所から海辺までは様相が一変します。津波

が来たところは、とにかく、跡形(あとかた)も無いというのが感想です。ほと

んどは津波で流されてしまい、家も何もありません。頑丈だった一部の家だけが

無残に残っている状況です。そしてそこら中に船の残骸が丘に上がっています。

車が木の上に引っかかっています。あまりの異様な姿は形容のしようがありませ

ん。TVでは散々、見てきた光景も現地でみるものとはあまりにも違います。第一

印象は、「戦場の後」のようです。そして、とにかく、静かです。人の営みはな

く、何も無くなってしまった、ことを感じます。TVではアナウンサーが、喋り倒

し、いきり立ちながらレポートしていますのでうるさい感じですが、現地は本当

に静かです。

 

更に「斎場」や「死体安置所」の張り紙がそこら中にあること、無くなった方が

いたことをあらわす、「赤い旗」が棒にさしてあることを見ると、ぞっとさせら

れます。これは、私にとって一生、トラウマとなって残る光景だと思います。

現地の写真もとってきましたので添付します。

 

 

最後に、今回の東北大震災を憂う皆さんにお願いしたい事があります。

 

是非、チャンスがあれば、被災地を訪れてください。現地に迷惑になるとか、何

もできないとか思わずに、つぶさに現地を直接見てみてください。現地では、ま

だまだ大変な部分もありますが、生き残った皆さんは平穏を取り戻しつつあり、

しっかり生活を始めています。子供には笑顔もあり、大人も力強く生活をしてい

ます。そして、災害で大変だということだけではなく、現地の力強さ、同じ人た

ちなんだということを感じ取ってください。

 

本当にいけないのは、「忌み嫌う場所」に東北をしてしまうことです。大切なこ

とは、東北に積極的に出掛けていって現地でお金を落とすことです。牛タンを食

べたり、現地の特産品を買ったり、サービスを受けて、現地の経済の復興のため

に、みなで東北に出かけることだと思います。現地の人たちも、多くの人に来て

もらいたがっています。震災の混乱は収まりつつあります。是非、東北に出かけ

ていってください。そして、時間があったらボランティアもしてみてください。

必ず、現地の笑顔に合えるはずです。

 

東京和僑会

震災チームリーダー

山田太郎

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