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第15回深セン和僑会 三恵有限公司 西口元三氏

第15回深セン和僑会 三恵有限公司 西口元三氏 2008/01/19

「「華南の中小製造業を見つめて29年・・・ビジネスと自分史」

 

【講師】

西口元三

三恵有限公司

 

【略歴】

1968年 インドハイデラバードへ長期電線技術指導

1969年 台湾台北で電線技術指導

1971年 タイバンコックで電線技術指導

1974年 シンガポール電線会社へ赴任

1978年 日本へ帰任 住友電器工業退社

1979年 香港で三恵有限公司設立

1997年 深セン駐在員事務所開設

1999年 「香港ビジネス20年」発刊

2001年 上海に独立会社設立

2004年 バンコックに駐在員事務所開設

2007年 深セン及び天津独立会社設立

2007年 アメリカに連絡事務所開設

2009年 「中国ビジネス30年」上梓予定

 

第14回深セン和僑会 太陽商事有限公司代表取締役 筒井修氏

第14回深セン和僑会 太陽商事有限公司代表取締役 筒井修氏 2007/12/08

開催日時: 2007年12月08日(土)
議題: 「今年の締めと来年に向けてのマニフェスト作成法」
講師: 太陽商事有限公司代表取締役 筒井修氏
開催場所: 羅湖爵士大厦
記載者: 深セン和僑会事務局  田中 修一
出席者数: 28名

講師紹介

太陽商事有限公司代表取締役

【略歴】 1943年3月 三重県桑名市に生まれる 1967年 名鉄百貨店入社 (子供服、婦人服のバイヤー) 1984年 名古屋鉄道海外事業部出向 同年4月 香港名鉄有限公司総経理として現地に赴任、貿易業、現地での流通業に携わる。 以来、香港・中国の多くの人脈に恵まれ、この地をこよなく愛す。

1999年 香港名鉄が香港撤退となりと同時に中国、日本の多くの人に支持され、現地に太陽商事有限公司を設立する。 香港貿易発展局(HKTDC)顧問として講演、執筆など日本の中小企業の中国進出支援活動をする。 2005年 中小企業向け中国進出支援ウェブサイト『JCDIRECT21.NET』を立ち上げ、更に新たなチャレンジをすると共に、パソコンも新たに勉強中。 身長170cm、体重73Kg(ダイエットで少し減量中)

本日は第14回深セン和僑会ということで2007年最後の和僑会として皆さんと楽しく一緒に過ごしたいと思っています。できるだけ皆さんの意見を聞きながらお話させていただければと思います。

本題: 今日は物事の考え方に重点を置いてお話したいと思います。どうしてこれに重点を置くかというと、人はなぜ成功するかは、最初にどう考えるかで決まるからです。正しく考えているかで殆ど決まってしまう。人生も同じでして、考えが間違えればどんどん違う方へ向かってしまいます。

今回は皆さんから事前に頂いた質問事項が20くらいありますが、その中には身の上話相談のような質問もあります。まあ、年の功ということで、また私ならこうするという感じで答えられればよいかと思っています。私は決して成功者ではありませんが、歳だけは取っているので何か役立つことがあればお話したいと思います。

最後にマニフェストについてお話します。マニフェストなしでだらだら過ごしていたら絶対に成功はしません。目標を持たずに生きても成功はありえないと断言します。例えば、目標がここにあって、そこからあそこまで向かおうとする。60歳くらいで10億の資産持つとか、会社を安定させてたいとか、その目標がしっかり定まっていなければ途中でぐるぐる回ってしまいたどり着けません。ヨットで堀江さんという方が一人でアメリカ行こうとしましたが、夜の海でぐるぐる回っていて気が付いたらまだ港の中だったというエピソード。進路を決めなければこうなってしまうわけです。でも目標を決めて生きていれば必ずそこにたどり着きます。それがマニフェストなわけです。

私は数百数千の経営者達とお会いしてきましたが、中には成功した者もいれば、倒産してホームレスになった者も見てきています。何が違うのか?挫折した人は、やはり物事の1番大切なこと、つまり物事の考え方で既に失敗しているのです。50でも60にでもなったとき、貴方の考え方がしっかりしていて、情熱も持っていたら絶対成功します。成功する人は成功する考え方を持っているからです。起業する人々の中で成功するのはほんの数パーセントです。成功した人は100人中3~5人程度くらいかもしれません。でもこの人達はやはり成功する考え方を持って着実に進んできています。失敗する人は失敗する考え方を持っていたために失敗しているのです。また、成功も失敗もしない人は、何となく人生が終わっているように思います。それは皆さんが定年になったときに気が付くわけです。わずかな年金生活が待っているだけの人生。それだけで85まで生きてかなければならない人もいらっしゃいます。

では成功した5人になるにはどうしたらいいのか?成功する者の考え方とはなんだろうか?それを学んでください。では、林さん。この質問についてどう思われますか?

林:途中でやめるから成功しないのだと思う。成功するまでやるしかない。

なるほど。鶴岡さんの本を読んで感銘を受けたのですが、彼女は10歳のころから起業することを考えていたそうです。本には「必ず雨が降る日が来る。雨が降らない日が続く日もあるが、その鶴岡さんがそこへ行くと必ず降る。それは何のことはない。彼女が諦めないからです。諦めなければいつか必ず恵みの雨が降ることを彼女は知っているのです。つまり、継続が重要だと言っているわけです。」

永島さん、成功するためにはどうしたらいいと思いますか?

永島:まず人間が明るいということ。これは大事です。

なるほど。そうですね。明るい人はやはり人に好かれるものです。でも、私はやはり、一番の成功のエキスは大局観だと考えています。物事の大局観を持って考えないと、もっとも基本的なところで失敗するからです。大局観とはつまり、自分がやっている事業が5年先上手くいく事業なのか?10年先世の中に求められている事業なのか?時間的な軸とグローバルな軸でもって事業を考えなければなりません。例えば、今から繊維産業やろうと思っても、これは時代遅れ。成功はおそらくしないでしょう。時代遅れなこと、グローバルで合わないことをやっていても意味がありません。私はいろいろなものに投資していますが、その基準となるのはこういった大局観です。株式投資も同じ。これれの判断基準で売るか、買うかを決定します。時代的にあっているのか?グローバルに展開可能か?を基準に考える。環境関連などはとてもいいと思います。上野さんがやっているシーゲイトなどのソリューションはいいと思いますよ。反対に、ちょろちょろその辺で喫茶店をやっているというのではあまり意味が無いですね。召し食ってちょんならそれでいいですが、5年後、10年後に成功者になりたいなら、果たしてそんな小さいことでいいのでしょうか?割り箸の会社をやるといってもそれは時代遅れです。環境問題から言ってもそれは基準外です。まずは将来性があること。そして世界的に広がるかどうかを考えてください。会社を起こすときも同じ基準で考えましょう。

では大局観だけでいいのかといえば、必ずしもそうではありません。次に大切なのは情熱があるかどうか。自分のところに投資の話があっても、この人口先だけで言っているのかどうか?本気でやろうとしているのかを見極めようとするのが大切だと私は考えています。金持ちは情熱にあふれた若者に感動するものです。だから情熱は大切なのです。その人に情熱があるか?情熱イコール継続にも繋がります。つまり、大局観×情熱=成功なのです。

大体上手くいかないといいわけが多くなってきます。生まれがよくなかったとか、家庭が貧乏だったからとか、会社勤めだからとか、国が悪いからとか、いいわけばかり。これはよくありません。

ところで、11月香港和僑会ではフェリックスグループの荻野会長にご講演頂きました。日本人倶楽部に行くことすらしない、また某有名銀行の支店長が会ってくれと言ってもなかなか会えない方でございます。その荻野会長が香港で講演をやることを聞きつけてはるばる東京から聞きに来た人がいたくらいの方です。年商は500億くらいじゃないいでしょうか。30社くらいの会社を経営し、サテライトカンパニーという独自の経営法で大成功し、シティースーパー、ファッションブランド「プラダ」などを香港に引っ張ってきた大物っとしてその名を轟かせておる方です。そんな大物経営者ではありますが、おそらく人前で公演したのは今回が初めてだったのではないでしょうか?そんな人が前回の和僑会で話してくれたわけでございます。

前回和僑会に参加された方にお聞きいたします。荻野会長の講演で印象に残っていることってありますでしょうか?

参加者:荻野さんの雰囲気、カリスマ性に圧倒されました。今まで会った経営者とは少し違う雰囲気があったように思います。

そうですね。荻野会長は40数年前に香港に来て、当時、現地は大混乱していました。そんな時代からビジネスをやってきているのですから年を重ねることにカリスマ性が磨かれてきたのかもしれません。会社はたった3人からスタートしたそうです。その中の一人が川を泳いで渡って香港に来たという。そういう人がいっぱいた。夫婦で渡ってくるのもいたとか。その一人が荻野さんの社員だったそうです。その方は午後4時になると必ず眠り込んでしまう。6時まで仕事なのに。2時間熟睡。毎日それを繰り返していた。なぜだろう?普通の会社員なら首です。でも、荻野さんはなぜ4時になると寝てしまうのかを調べたわけです。そしたら仕事終わってから別の仕事に行っていたことが分かった。何と喫茶店で働いていたんですね。そのくらいハングリーな時代だった。毎日4時間しか寝ずに、会社へ来ていた。体力の限界を極めていたことでしょう。

なるほど、そういうことか。あいつは川を渡って香港へやってきた。1ドルの金もほしい。ならば、こいつにこういう事業をやらせてみよう。2足わらじの生活はやめて、この事業に打ち込めと言ったわけです。荻野会長は今まで儲けた金をその事業につぎ込み、利益が上がったら配当をもらうことにしました。今その会社が100億くらいになっている。そうなるにはもう死んでしまうかと思うくらいその方は仕事したという。学もないけど、情熱だけは誰にも負けなかったわけです。その方も、そして荻野会長も。

もう1つ印象に残っているのは、日本の商社から共同でやらないかという提案が来る話です。サラリーマンが計画書を持ってくる。でも会長は殆ど見ない。事業の数字は見ない。普通なら細かくみるであろうが、彼はみないという。なぜか?何を大切にしているのか?この事業は将来性があるのかを見てるので数字は見ない。グローバルな目で見て伸びるかどうか?このへんが正に大局観なわけです。10パーセントアップなんてそんなものはどうでもいい。事業計画の作り方が上手でも意味がない。さも利益が出るかのように書けば、大企業の事業プレゼンは成功する。サラリーマンはそれが上手になってしまうわけです。

ただし、目標がしっかりしている。5年を目安をしている。この間にどこまでならリスクを取れるか?荻野会長はこれを常に考えています。シティースーパー始めたとき、50億、100億失敗しても会社は残れる。そのときにやめればいいと思ったそうです。政府がやったとき10、20億の失敗があったとか。そして政府から荻野会長に経営の話があった翌日には荻野会長からちゃんと20億振り込まれていた。

シティースーパーは香港で中流以上の客が行く店があったらいいなあというところからスタートしたそうです。会長は大局観と情熱を持ってやってきた。この2つがあれば会長のような人がサポートしてくれることもあるかもしれません。

孫正義氏が事業始めたとき、人には負けない情熱があると思って事業を始めています。そのくらい1つの事業に命を懸けるくらいの気持ちがあれば立派に成長して成功するわけです。

ではここから皆さんから頂いた質問を抜粋してお応えしていこうと思います。

頂いた質問事項からのお話: 30から40の間にやっておくべきこととは何ですかという質問を頂いております。私が30、40代のころは、これはいいと思ったことはやってきたが、その合間を縫ってとにかく本をよく読みました。電車で10分くらい時間があってもよく読みました。ぼうっとしているのがもったいないと思っていたからです。経済書、思想関係の本をよく読んでいた。自分のこれはと思うメンタル、先輩、指導者、そういう人に出会えるように自分が努力すること。若いときはそういう方々に遠慮せずにどんどんぶつかるべきです。こんなこと話したら失礼かなあと思うことはない。これは若さの特権。それが孫正義流だと思う。恥をかいてもいい。そういう情熱のある奴が金持ちは大好きなのです。メール、インターネットで情報は直ぐに伝わりますが、そういうことではなくて直接行って門をたたきなさい。私にもいろんな人から問い合わせがあるが、いちいち回答していたらきりがない。とにかく香港まで来なさい。これが本当のやり方。本当に来たら会わないわけに行かないからね。ハイテックが進みすぎると情報をおろそかにしてしまうのが人間。人と会って話をすることを重視しなさい。会いに行くのは大切です。携帯メールを送っていては情熱が足りない。年配の人から謙虚に話を聞く姿勢を持つことが大切だろう。

個人的な話になりますが、私は大学でてからサラリーマン一部上場名古屋の会社にいました。毎日こんな生活していていいのかと20代から思っていた。なんかやろうと思っていたわけです。学生のころから台湾に行っており繋がりがありました。日本でお菓子をまとめて買ってコンテナに詰め込んで台湾に輸出する仕事を会社に内緒でやっていました。ばれたらえらいことになりますが、自分では何も悪いことはしていないと思っていた。

同級生はデートしたり、ゴルフしたりしていましたが、自分は輸出の仕事が楽しかった。台湾の友人にも頼まれたし、おもしろそうだしと思ってやっていました。安いタイプライターを7000円で買い、貿易の本を買ってお菓子の輸出を始めました。時効だからもう言っちゃいますが、コンテナ1個の輸出で30万くらい儲かりました。台湾にないお菓子を送っただけです。当時の僕の月給は3万円。1回の仕事で年収になっちゃいました。なので会社からの給料は全部お母さんにあげてた。そのとき輸出の面白さにひかれました。あるとき、駅前の三菱銀行に口座作ってくれと言ったら、支店長に怒られまして・・・。なんで銀行員に怒られなあかんのかと言う時代もありました。ですから自分の好きなこと、くびになってもいいやと思いながらやってきました。

ある日、香港に行くやつはいないかと名鉄で聞かれて、誰も手を挙げなかった。自分が真っ先に手を挙げて私が行くと言いました。私が名鉄の名を上げて見せるとか大義名分つけて。3年だけやってくれと言われました。来てみたらおもしろかった。実力主義。鉄道員やってた人間が来て3日でもう帰りたくないと思いました。そこで帰らないで済む方法を考えました。家を買おうと思ったんです。タイミングよく、1984年、香港は大暴落していました。信じられないくらいです。1500㎡、海が見える一等地3LDK,4LDKが100万ドルでした。それに頭金2割くらい払ってローンにして購入しました。買った部屋は日系の商社に貸しました。銀行の利子は7%、家賃は12%なので差し引き5%儲かりました。そのくらい物件が暴落していました。鄧小平とサッチャーがやりあって、香港は中国になるという考えが広まっていた時代です。キャンデーで儲かった金をそれにつぎ込みました。あっという間に不動産が10倍になりました。頭金2割しか出さないのにです。ですから元金は50倍。いわゆるリバレッジです。サラリーマンからしたらびっくりです。儲かったらまた買って、いろんな人に貸しました。そっちでも金儲けできた。いいことばっかりではなかったが、う頂点になっていたかもしれない。とにかく怖いくらいの金が入ってきました。そのときには悪いことが起こるものです。みんなが金を借り来る。土下座とか平気でする。100万ドル単位で次々に貸してしまいました。回収に行くと絶対に返してくれない。自分がうぶだったということです。金を貸すと自分の身が危なくなります。どんなことがあっても金は貸してはならない。多額であればあるほどそうです。金貸して請求すると、今度はこっちが恨まれます。しつこくいうとあの野郎、死んでしまえばいいのにと考えるやつもいるでしょう。金借りたときは土下座していた人がです。僕が馬鹿だったなあと思ったこともありました。なのである時期を持って一切金の貸し借りはしないことにしました。親も、銀行も貸さない人に貸してもその金は絶対に返ってきません。100ドルくらいならいいが、大金はだめ。本を読んである言葉に出会いました。この世に起こる全ては必要必然。あ、これだと思った。俺が甘かった。天は、俺にこれを勉強しろということだったと思いました。それから、気持ちがすうっとなった。2度としないと思ってさっぱりしました。

質問:友達としてビジネスの付き合い方として何か?心構えなどあるか?

友達が勤める会社と取引しているが。・・・友達とのビジネスは割り切るべきだと思う。そうでないと、トラブルが起こりやすい。相手にも割り切ってもらわないといけない。友達といえども利害関係はある、べたべたになると変な関係になる。

質問:ビジネスを長く継続させるポイントは?

世の中は常に変化している。諸行無常。地球が回ると同時に変化しています。同じ事業が永遠に続くことはありません。私の会社は息子が継ぐような形になってはいるが、中国貿易ビジネスがいつまで続くかは分からないと伝えています。5年後も今の値段で取引できるとは限らない。円が安くなることもある。今、110円になっているが、最後の円高だと思っています。大量の定年退職者が出て逆三角形の人口パターンになる。そして年金問題。でも国は借金だらけ。中国から買うものはどんどん高くなっていきます。そのときに、中国ビジネスが続くか?いつどう変化してもちゃんと対応できるように考えよと息子に言っています。いま、上手く行っているときに、次何をやるかを考えることは大切です。また薄い利益でやっているのもよくありません。簡単にまねできるのもよくない。独占性が高いものを選ぶ。まねしづらく、利益があって将来性があるものに目を向ける。平行線はマイナスと考えるべきです。

質問:家族のこと。上さんとの意見の違いについてどうされていますか?

家族をもつと子供の教育とか必ず出てきます。夫婦円満なんてありえない。トラブルばかり。今日は女性もいて恐縮だが、男と女は基本的に違うということを理解しなければならないと思います。体も違えば、頭も違います。考え方も違う。男は、女はこういう風に考えるもんだと考えないとその男は賢くない。俺の上さんが怒ったら、僕は外に出て頭を冷やしますね。で帰ってくる。孔子の話で、人と接するときには、汝の欲するざるところを他人にするなかれ。自分のしてほしくないことを相手にするな。人付き合いはこれに尽きる。夫婦関係も同じ。やって欲しそうだなあということをやってあげればいいのです。

それでも、夫婦で意見が違う場合は・・。私は香港が好きで住んでいたが、上さんは日本に帰りたいと言ったことがあります。出世の問題になるとも説き伏せられたこともあります。そのときは彼女も必死だったと思いますが、俺は信念持って家族を幸せにするためにやっていると言いました。もちろん、好きなことをやってはいるが、それと同時に家族を幸せにする情熱があると訴えました。どうしても帰りたいなら、お前が帰れと言いました。そのかわり、今の生活は100%保障すると言ったら、上さんは黙っていまでも一緒についてきてくれています。強い信念でそれが間違ってなかったら、こういうのも一つの手かと思う。毎晩ふらふらしていてはお話にならないが。男として貫くことがあれば大丈夫。私はそう思います。

質問:子育て、教育について。

こうしておくべきではなかったかと思うことはあります。最終的に子育ては親の責任。自分で作った子供だから親の責任。いじめ、子供の自殺はそもそも学校、教育委員会じゃないでしょ。やさしさと厳しさ、この2つが大切。息子はスポーツがすごい子だった。剣道やっていて名古屋でも有名でした。間違ったことすれば、剣道の竹刀でばしばしやりました。体罰も必要でしょう。子供をたたけば親が一番悲しいのです。でも、体罰禁止で子供がちゃんと育つのか?ストーカー、団体でよってたかっていじめる。仮に息子がその仲間だったら木に縛り付けるかも知れないですね。とにかく徹底的に向き合うこと。そして愛情を持って接することが大切です。

質問:若くしてお金がないとき、どんなポリシーでお金を貯めてますか?

若いときはみな金はないもの。でも、私は友達が遊んでいた時も金を貯め続けていました。2速わらじやっていたから金は相当貯まりました。10万のうち2万は貯金するとかやっていた。その苦労が必ず実を結びます。こつこつと貯めることは大切です。付き合いが悪いと思われることがあっても、40代になって花開いたときに向こうから人はよってくるから心配要りません。

香港和僑会ホームページにも掲載していますが、第一回の師匠の書籍で紹介した本多静六。これは勉強になります。大変な生活をしながら死ぬ思いをして自殺を考えたこともありながら頑張って成功した人です。是非読んでみて下さい。

マニフェストがなぜ大事か?

目標のないところにたどり着くことはできないからです。目標がないと明日することがわからなくなってしまいます。統計で見ると、目標があるかと聞くと100人に2人しか目標があると答えない。少ない!たった2人!マニフェストを作って、来年の今、12月、和僑会でどれだけ発表できるかを考えて欲しい。

頑張れ社長!サイトを見ていただきたい。毎日のコメントが出てきます。また武沢社長の考え方も出てきます。彼とはある名古屋の経営者から紹介されて会ったのが出会いでした。毎年年末に会って今年は何点かなあなんて話しています。10個目標があったら1個、1個達成していく。少しずつでも構わない。かめとうさぎの話と同じです。なぜうさぎが負けたか?かめは目標があったから。うさぎは速いが途中でやめた。だから能力があってもだめだったわけです。

達成したい目標、オフィシャル、つまり会社のことでやりたいことを書いてください。個人的なことはヨーロッパ旅行、外国旅行。50歳で10億貯めるとか、まあいろいろありますが・・・。

ここでちょっと弊社のスタッフにマニフェストを発表してもらいましょう。

松本:太陽商事はめがねの工場やっているのですが、情熱という言葉が今回のお話にたくさんでてきましたのでこれにちなんで目標を発表したいと思います。先日めがねの展示会がありましてフランス人から声をかけられました。お前は松本ではないかと聞かれました。中国で頑張っている日本人が居ると聞いてきたんだがと言われましてとても感激しました。この方、有名なブランドを手かげている人で、そんな人にうちの部品を認めてもらったわけです。最低10種類増やしてくれるということでこれを情熱をもって頑張りたいと思います。

筒井:目標を書くときは、抽象的になってしまいがちです。ヨーロッパに旅行行くだけでは分かりづらい。ヨーロッパのどこか?フランスのどこ?パリ?ルーブル美術館?モナリザを見たい。ここまで具体性がないとだめです。武沢君が言うに、マニフェストの前にウィッシュリストというのがあって、自分がああしたいこうしたいことをリストアップしていく。5分でかなりのウィッシュが出てきます。それを書き続けていきます。それを整理していくつかピックアップしてマニフェストにします。5つくらいで十分ですが、より具体的に書くことが大事です。中国で一番とか、それはだめ。これは長期で考えてください。1年以内のマニフェストはより一層具体的に書くとより鮮明になります。

書いたら書いたままではだめです。1年以内の目標には直ぐ目に留まる手帳などに書いておくといい。時間があるとき、人との約束時間の間などにこれを見る。半年位すると、これやってないなあとか気づきます。そのとき頭の中に描かれるわけです。それが大事。自分が望んだことを書いて常に見て、達成したら消していく。何も考えていない人と、そうじゃない人とでは違ってきます。1年で少し違うと10年ではもっと違ってしまう。少しの変化を毎年作ること。これがマニフェストの醍醐味です。これこそが成功の近道だと僕はそう思います。

 

第14回深セン和僑会 太陽商事有限公司 筒井 修 氏

第14回深セン和僑会 太陽商事有限公司 筒井 修 氏 2007/12/08

「今年の締めと来年に向けてのマニフェスト作成法」

 

【講師】

筒井 修

太陽商事有限公司

 

【略歴】

1999年

香港名鉄が香港撤退となりと同時に中国、日本の多くの人に支持され、現地に太陽商事有限公司を設立する。香港貿易発展局(HKTDC)顧問として講演、執筆など日本の中小企業の中国進出支援活動をする。

2005年

中小企業向け中国進出支援ウェブサイト『JCDIRECT21.NET』を立ち上げ、更に新たなチャレンジをすると共に、パソコンも新たに勉強中。

 

身長170cm、体重73Kg(ダイエットで少し減量中)